※インタビュアー鉄子:以下 鉄子
奥野 崇雄さん:以下 奥野
〔鉄子〕
この業界に入るきっかけは何でしたか?
〔奥野〕
最初は知り合いの紹介で鉄筋屋のアルバイトをしたことがきっかけです。
高校卒業後に工場へ就職したんですが、やりがいや楽しさをあまり感じられなかったんです。
そんな時に居酒屋で会った知り合いに『鉄筋屋のアルバイトやってみないか?』と声をかけられて。
最初は2年くらいのアルバイトのつもりでした。
でも仕事を続けるうちに やりがいと楽しさ を感じて、気づけばここまでやってこれましたね(笑)。
〔鉄子〕
アルバイトから始まった鉄筋業界、第一印象はどうでしたか?
〔奥野〕
やっぱり「 きつい・汚い・危険 」の 3K。さらに夏場は想像以上の暑さで、本当にしんどかったです。
でも先輩や仲間には本当に恵まれました。怖い人もいましたが、みんないい人ばかりでしたね。
〔鉄子〕
想像以上の厳しい環境・・・どのようにしんどさを乗り越えてきたのですか?
〔奥野〕
もとからしんどいことへの耐性がありました。
学生時代に陸上をやっていて体力にも自信がありました。
中学で全国大会、高校で近畿大会にも出場していて、
その時の練習に比べれば現場のしんどさはマシに思えたんです(笑)。
〔鉄子〕
やっていてよかったと感じる瞬間を教えてください。
〔奥野〕
やっぱり構造物として残ることですね。
車で走っていて、実際に自分が携わったものを目にしたとき、
『あの建物や高速道路は自分が関わったんだ』と実感でき、とても誇りに感じます。
ずっと残り続けるものに関われるのは、本当に素敵な仕事だと思います。
〔鉄子〕
今までで一番苦しかった経験は何ですか?
〔奥野〕
昔、朝勤・昼勤・夜勤で2日間ぶっ通しで働いたことがありました。
工期に追われ、一瞬も気を抜けないほど必死でした。
大変でしたが、やった分だけ稼げることや毎日じゃなかったことが支えになりました。
〔鉄子〕
誰かから教わった言葉で、今も大事にしていることを教えてください。
〔奥野〕
「 ノルマ 」という言葉を使わないことですね。
仲間から『その言葉は強すぎて相手を委縮させる』と言われて。
それ以来、どう表現すれば相手に伝わりやすいのかを、深く考えるようになりました。
〔鉄子〕
信頼できる仲間の方々との絆の中で、
特に忘れられないエピソードはありますか?
〔奥野〕
同級生で一人親方をしていた鉄筋屋がいてね。
仲間が困っていたら休みの日だろうと、どれだけ忙しくても
助けに行ったものです。
困っている仲間がいたらほっとけない性分で・・
今も友人として、鉄筋人として 繋がっています!

〔鉄子〕
仕事以外での印象的な思い出は?
〔奥野〕
20代の頃は翌日働けなくなるくらい飲んでしまうことも(笑)。
現場が終わったあとに仕事仲間と飲みに行って、その場でああでもないこうでもないって
仕事の話をするのがすごく楽しかったんです。
「もっとこうした方が良かったかもな」なんて話しながら、自然と学ばせてもらえることも多くて。
今は そういう機会が減って少し寂しいですね。
あとは昔、「 寸志 」をいただいたこともよく覚えてますね。
今でいう賞与みたいなもので、年末に3~5万円くらいもらえたんですけど、
忘年会でなぜか増えたり減ったりして‥それも今となってはいい思い出です(笑)。
今では年2回賞与をいただけていて、本当にありがたいなって思います。
〔鉄子〕
鉄筋業界の未来について、どのような想いや願いをお持ちですか?
〔奥野〕
最近は、若い人が減り高齢化が進んでいます。
このままだと将来、建物が建たなくなる危険すらあると思うんです。
だからこそ、現場環境や働き方を改める必要があります。
現状では給料が2倍になっても“やってみたい”と思える環境はまだ整っていないように思います。
夏は暑く、冬は寒い。
そんな厳しい環境下で体一つ命をかけて作業する職人の環境整備は、
次の世代につなげるために急務だと思います。
〔鉄子〕
「 鉄筋工としての生き様 」を一言で表すと?
〔奥野〕
「 がまん!!」その一言に尽きます。
〔鉄子〕
最後に、若い鉄筋人へメッセージをお願いします!!
〔奥野〕
「 楽しさを見つけろ!」ですね。
僕にとっては鉄筋を納める過程がパズルのようで本当に楽しいんです。
どうやったらうまく組み立てられるか日々考えています。
同じ現場は二つとないから、毎回挑戦 。
その分、うまくいった時の喜びや完成した時 の達成感は 鉄筋人だからこそ味わえる魅力 です。
だから何かひとつでも「 楽しい 」「 誇らしい 」と思える部分を見つけてほしいです!
〔鉄子〕
奥野さん、本当にありがとうございました!

友人とのBBQ
忘年会
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