※インタビュアー鉄子:以下 鉄子
田中 幸博さん:以下 田中
〔鉄子〕
田中さんはどのような経緯で鉄筋業界に入られたのですか?
〔田中〕
僕、最初は会社員をしていたんです。
高校を卒業して、時計宝石会社に就職しました。
その後は大手重工業会社で働いたりもしていたのですが、元々家が鉄筋屋だったんです。
だから会社勤めをしていても、長男の自分が家業を継がないといけないという想いがずっと頭の片隅にありました。
結婚が早かったのもあって、自分が家族の柱にならないといけないという想いから二十歳の頃に家業である鉄筋の仕事を始めました。
〔鉄子〕
鉄筋人は身近にいらっしゃったのですね。
〔田中〕
父も弟も鉄筋工でずっと側で見ていたので、鉄筋の仕事は身近な存在ではありました。
だけど、10代の若い頃は「絶対鉄筋屋にはなるもんか!」って思っていましたね。
だって、鉄筋屋ってイメージ悪いじゃないですか、3Kの仕事ってね。
そういうイメージが根底にあって、最初は会社勤めをしていたんです。
だけど社会に出て働いて色んな経験をするうちに、自分の性格というか仕事観みたいなものに気付きました。
人の下で働くのではなくて、「自分の手で何かやってみたい」「自分が頭となって仕事をしたい」という気持ちが徐々に大きくなっていって・・・
そして、自分の中であんなに否定していた鉄筋の仕事が、否定しながらも自分の中に存在していたことに気付いたんです。
だからその時、鉄筋業界に足を踏み入れようと思ったのは、僕にとって自然の流れでした。
〔鉄子〕
絶対になりたくなかった「鉄筋人」。実際どうでしたか?
〔田中〕
いやー、やっぱり大変な仕事だと思いましたよ。
毎日怒鳴られ、どつかれて・・・鉄筋棒が飛んでくることもしょっちゅうありました。
「こんなのやってられるか!」と思いましたね。
だけど、鉄筋屋になって3ヶ月目に自分にとって転機がありました。
鉄筋屋になって3ヶ月で、「拾い」ができるようになったんです。
〔鉄子〕
3ヵ月で拾えるようになるもんなんですか?
〔田中〕
いや、普通はできない。というか、3ヶ月の新人に拾いの仕事は普通任せないと思います。
だけどその時の親方が僕にこう言ったんです。
「この現場はお前が拾いをやるんだ。失敗しても俺が尻を拭いてやる」
現場は三重県の公共施設でした。
その時の事は今でも鮮明に覚えています。
親方は僕に拾いを任せてはくれたけど、実際のところ鉄筋屋になってまだ3ヶ月足らずですからね。
全く何にも分からない状態ですよ。
毎日間違いの連続、失敗ばかりでした。
だけど「何がなんでも絶対やってやる!」って気持ちだけは絶対負けなかった。
必死でくらいついて、いっぱい間違えて失敗して・・・それでも最後までやり切ったんです。
この経験が、ものすごく自信に繋がりました。
「自分にもできる」「俺はたった3ヶ月で拾えるようになったんだぞ」ってね。
〔鉄子〕
「負けたくない」という気持ちが、田中さんの原動力になっていたのですね。
〔田中〕
「誰にも負けたくない、一番でいたい」という負けず嫌いな性格も大きいと思います。
分からないことばかりだったけど、でも「やるからにはやってやる!」という、気合いだけは十分でした。
だから毎日、図面を持って帰っては穴が空く位図面をずっと見ていたんです。
それはもう毎晩図面を見ながら寝落ちする毎日でした。
だけど不思議なもので、最初は見てもちんぷんかんぷんだった図面が、ずっと見続けるうちに段々と分かるようになってくるものなんですよ。
今では平面の図面でも、図面に書いてある数字を見るだけで、平面の図面が立体的に浮かんで見えるようになりました。
〔鉄子〕
自分が初めて手掛けたものを見たとき、どんな気持ちでしたか?
〔田中〕
現場を初めて上から見たとき、ものすごくきれいな八角形でね。
あの美しさと達成感は、今でも忘れられないものです。
同時に鉄筋の仕事は僕にとって「天職」だと思えた瞬間でもありました。
鉄筋の仕事は、ゼロのところから形を作る仕事です。
何もない所から基礎=カタチができる。
そして、出来上がったものは本当に綺麗で芸術的なんです。
それを自分の手で作っているんですから、こんな夢があって芸術的な仕事、他にないでしょう。
そんな風に思えるようになったのも、あの時何も分からない僕に拾いを任せてくれた親方に出会えたからです。
厳しい人でしたが、3ヶ月の新人に任せるなんてそんな怖いもの知らずの人なかなかいませんよ。
そんな親方に出会えた自分は、本当に運が良かったと思っています。
〔鉄子〕
苦労した分だけ人は成長する・・・とよく言いますよね。
〔田中〕
昔は、というか職人の世界はどこもそうだと思いますが、手取り足取り一つ一つ教えてはくれません。
「見て覚えろ」というのが常識でした。
だから自分のやる気が一番大切になってくるわけです。
自分のやる気次第で、どれだけでも成長できる。
だから僕は「やってやるぞ」「一番になってやる」という思いが鉄筋人には一番必要だと思っています。
〔鉄子〕
若い人を育てていく立場になられて、どのようなことを大切にされていますか?
〔田中〕
「良いものは良い、悪いものは悪い」をしっかり発信することが大切だと思っています。
あとは「人間は間違う生き物」だということを忘れないことです。
鉄筋屋の仕事で一番怖いのは、コンクリを打った後に間違いが判明することなんです。
これは本当に大変なことになりますから。
だから僕は、鉄筋を組んだ後はもちろんですが、組んでいる最中にも自主検査をしっかりやります。
組んでいる最中に間違いが分かっても、正しく直せるから全く問題ない。
そうやって少し手間をかけてやることが、最終的には手戻りが減ることに繋がりますからね。
人間は間違いをする生き物ということを理解して、そしてその間違いをいかに食い止めるかが自分の役目だと思っています。
若い人を育てていく立場になられて、どのようなことを大切にされていますか?
〔鉄子〕
鉄筋人としての経歴を教えてください。
〔田中〕
32歳の時に大森鉄筋工業(有)さんの協力会(OM会)の副会長になってから、40歳まで4期務めた後、今はその協力会の会長をさせてもらっています。
そんな大役を自分に任せてもらえるということはとてもありがたいこと。
だから何に対しても自分が関わらせて頂く以上は、少しでもプラスにしたい、少しでも良くしたいということが、自分が大切にしている信念です。
そのような努力をしながら、大森鉄筋工業(有)さんとも信頼関係を築いてきたと思っています。
だけど長い間そのような役目をさせてもらっていると、役割も徐々に変わってきます。
皆が良いと思っていても言いにくいことや、時には単価が少しでも上がるような交渉をしないといけないこともある。
そういう部分では、下だけじゃなくて上層部にも自分の考えははっきり伝えるようにしています。
その代わり、自分の言葉にはしっかり責任を持たないといけない。
特に上に意見するときは、上から「お前なんか辞めてくれ」と言われても受け入れる覚悟でいます。
その覚悟がないと、相手に自分の真剣な想いなんて伝わらないでしょう。
だから現場でも「できる」「できない」はハッキリ言いますね。
でも自分を知ってくれている人は、「田中さんがそう言うなら」と信頼してくれる。
自分を信頼して任せてくれるんです。
〔鉄子〕
田中さんに絶大な信頼を寄せてくれている証拠ですね!
〔田中〕
僕、昔から話が上手かったんですよ。
だから一番初めに働いた時計宝石店でも、めちゃくちゃ売りましたからね。
だけど反対に弁が立つからこそ、「口だけのやつ」ってのだけには思われたくなかった。
やっぱり有言実行でないと。
相手にハッキリ自分の考えを伝えるということは、同時に自分にプレッシャーをかけているんです。
男としても、人間としてもね。
〔鉄子〕
現場の環境づくりで意識されていることはありますか?
〔田中〕
現場はいろんな人がいます。
鉄筋屋、鳶、大工の3役や、現場が大きいほど色んな班があって、たくさんの方が関わりながら現場を作り上げていきます。
僕のポリシーは、現場に行ったらまずその人たちと仲良くなること。
「俺が、俺が」でいたら上手くいくものも上手くいかないですからね。
言うべきことはしっかり伝える。
その代わり僕は絶対に「イヤ」と言いません。
押してばかりではダメ、引くことが必要なんです。
他の業者さん達と、いかにお互いを想い合って協力・連携していくかがとても大切だと思っています。
〔鉄子〕
これまで挫折はありますか?
〔田中〕
ないですね。一度もないと胸を張って言えます。
もちろん失敗は数え切れない位ありますよ、失敗したらその時はもちろん落ち込みます。
だけど失敗したら、何とか取り返そうと思う。
元々ポジティブ思考で、負けず嫌いな性格ですからね。
人間は間違う生きものです。
その間違いをどうやって次に生かすか、その努力をしてきました。
その努力に裏付けされた自信はありますね。
〔鉄子〕
今まで一番難しかった現場は?
〔田中〕
地元の地銀の現場かな。
あれは本当に難しかった!どれだけ図面を見ても全く納まりの検討がつかないんです。
さすがにその時ばかりは図面を立体化できなかったくらい(笑)
正直「できない」と思いました。
当然皆も分からないから、現場監督でさえ僕に聞いてくるわけです。
本当に頭を悩ませました。
悩んで悩んで、試行錯誤を繰り返して、最終的には完成させた。
その時、「何でもできる」と思えた瞬間でもありましたね。
鉄筋の現場というのは、難しければ難しいほど、完成した時に綺麗で芸術的なんです。
だからこの現場は、本当に芸術的だった。
コンクリートを打ちたくなくなる位にね。
〔鉄子〕
鉄筋人の仕事の醍醐味ですね。
〔田中〕
僕たち鉄筋屋は、何もないゼロのところからカタチを作り上げていく仕事なんです。
そしてこの芸術品を自分の手で作り上げたという誇りがあります。
「プロの仕事をしている」というプライドを感じられる仕事が、「鉄筋人」なんです。
〔鉄子〕
これからの鉄筋業界に想うことは?
〔田中〕
今は便利で省力化できる商品がたくさん出てきています。
新しいものをどんどん取り入れて、融合させて、もっと鉄筋の仕事を良くしていきたい。
そのためには、自分自身がそれらをどんどん取り入れ、そして周りにも発信していくことで鉄筋業界全体を盛り上げることが自分の役割だと思っています。
AIや機械化がどんどん進んでいる中で、機械には絶対負けたくありません。
鉄筋の仕事は人間にしかできない仕事なんです。
3Kと言われるこの鉄筋業界ですが、若い子たちが「自分もやりたい!」と思える環境にしたいですね。
そのためには、どんどん「風」を変えていかないといけない。
そして、若い子たちにもどんどん前に出てやってもらいたい。
それをサポートしていくのがこれからの自分の役割だと思っています。
自分だけ潤えばいいなんて、これっぽっちも思いません。
皆そして鉄筋業界全体が潤って、皆笑ってやっていきたいですね。
〔鉄子〕
田中さん、本当にありがとうございました!!